フェアボールとファールボール
野球のグラウンドでは、本塁を中心点として左右に線が引かれ、その角度は90度になっています。これがフェアゾーンであり、この中でのプレーを行なうことが原則です。
守備につく時も捕手以外はフェアゾーンの位置になります。その他の部分はファールゾーンと呼ばれ、ここへの打球はファールボールとされます。打者はこの90度の中にボールを打つことでヒットになります。
ただし、打球が左右の塁を通過した時にフェアゾーンであれば、その後にファールゾーンに転がってもヒットになります。
また、守備側がファールゾーンに飛んだ打球をノーバウンドで捕球した場合は、打者はアウトとなります。
野球の歴史
野球は1839年に、ニューヨークのクーパースタウンで、アブナー・ダブルディーという人によって始まりました。ここには、現在「野球殿堂」があります。
1845年には、アレクサンダー ジョイカートライトによって最初のルールが作られ、初めて競技となりました。
1860年代初頭の南北戦争の頃、長きに渡る内戦の過程で、兵士たちが各地で余暇に野球を行ない、捕虜のレクリエーションとしてもゲームが行なわれて徐々に米国に広がっていきました。
その後、数々の野球チームが誕生し、1869年に初めて野球を職業としたプロ野球チーム「シンシナティ・レッドストッキングス」が結成されました。
これを皮切りに全米各地でプロ野球チームが誕生し、1901年にア・リーグ、ナ・リーグの8チーム体制が整いました。これが近代野球の始まりと言われています。
日本の野球の歴史
日本に野球が伝えられたのは1872年(明治5年)。東京大学の前身である開成学校のアメリカ人教師ホレス・ウィルソンらが、母国からボールとバットを持ち込み、学生たちに野球を教えたのが始まりです。
その6年後には、社会人を中心とした本格的野球チームが結成され始めます。しかし、この頃は野球と言う言葉もまだ使われておらず、「玉遊び」「打球鬼ごっこ」「底球」など様々な名前で呼ばれていました。
ちなみにベースボールを「野球」と和訳したのは、旧制一高OBであった中馬庚(ちゅうまかのえ)という人物と言われています。
1905(明治38)年には、早稲田大学野球部が初めてアメリカに遠征し、技術から用具まで野球の本場から多くのものを持ち帰りました。これが日本の野球発展に大きな貢献を果たし、野球が全国に普及していきます。